備忘録

備忘録代わりとして、特に決まったテーマもなく、思ったことを書いていきます。

夢を持つということ

あなたの将来の夢は何ですか?

幼稚園、小学校、中学校、高校、大学。
教育の場で必ずと言っていいほど聞かれるこの質問。
幼稚園・小学校の頃は、女の子ならお花屋さんやケーキ屋さん。男の子ならスポーツ選手に消防士。可愛らしい、かっこいい職業が上がる。
それが中学生、高校生と年が上がるにつれて、会社員や公務員、教師など段々と現実味のある仕事が選ばれるようになってくる。
そして、大学生になってよく聞く言葉がこれ。

何をしたいのか分からない

私自身は大学ではなく専門学卒を卒業しているので、大学生活というものはわからないがおそらく似たようなものだと思う。学校に行って授業を受け(半分は寝て)、授業が終わればバイトをし、バイトがなければ友達と遊び、夜遅く帰って次の日眠そうに学校に行く。大まかな流れはきっとほとんど同じだと思う。
違うものがあるとすれば、それは就活ぐらいだろう。
基本的に専門学校は『専門』というくらいだから単一業種への就職が前提であり、他業種への就活はそもそもしないことが多い。
(※勝手なイメージを多分に含むが)それに比べて大学は学部にもよるが割と間口が広く、IT、金融、医療、公務員などなど多くの選択肢が提示されている。
だが、面接を何十社も受けてようやく入社した会社で、やりたくもない仕事を淡々とこなし、そのうち夢などは忘れていくという話はよく聞く。
では専門学校に行く人は夢に向かってまっしぐらかと言えばそうでもない。
飲食業で言えば、3年後にはクラスの3分の1~2ぐらいは仕事を辞めてアルバイトや他業種に転職していることが多い。若者の離職率が高いのはおそらくどの業界も同じである。
その背景にはインターネットの普及で情報収集が容易になり、転職のハードルが下がったことや働き方が多様化していることなどがあると思うが、個人的にはそんなことよりも夢を持つ人が少なくなったんじゃないかと思っている。


暗に「夢を持て」と言われている

今思えば私はとても可愛げのない子供だったと思う。
小学校のときに冒頭の質問をされ、『公務員』と答えていたのをよく覚えている。理由は「安定した仕事だから」。
親がよくお金がないと言っていたので、安定を求めてしまっていたのだと思うが、それにしたって教師からしたら何ともつまらない「夢」だと思う。
きっと先生の多くは生徒がみな夢を持っていると思って質問するのだろうが、実際そんなことはない。夢を持っていないという言い方は語弊があるかもしれないが、小さい頃の夢なんて所詮漠然としたものである。具体的に将来どうしたいのかなんて考えていない子供がほとんどだ。
それなのに気がついたら中学入試に巻き込まれて偏差値争いをし、高校に進めばあっという間に理文の選択を迫られる。
そしてなんとなく得意な方を選択し、将来の選択肢が半分になる(極端な言い方だが)。
そしてその時々で夢を聞かれ、そのうちそれが自分のやりたいことだと思い込み、大学進学後や就職後に「本当はこんなことがやりたかったんじゃない」と気づかされる。
でもそのときには理文の都合で授業を受けられなかったり、金銭的にも年齢的にも専門職の転職は難しくなっていたり。
夢を聞くわりに、子供がその夢を叶えるための態勢を大人が整えていないと感じる。

最初の話に戻ると、本来人は成長するにつれて多くの経験を積むのだからより多くの「夢」を持ってもいいと思う。
だが、現実には当たり障りのない実に日本人らしい「夢」を抱くようになる。

海外の事情は分からないのでこれは完全に個人的な考えだが、今の日本は単純に小さい頃に触れる体験の数が少ないのではないかと思う。
日常から非日常へと飛び込む機会がとても少ない。親が演劇好きでもない限りは劇場に足を運ぶ機会もあまりないし、地方の歴史館や科学館などは普段は閑散としているところも多い。多くの人は学校の行事で一回訪れたことがあるかどうかといったところだろう。

体験の数は選択肢の数だと思う。
もともと将来の選択肢など無限大ではあるが、実際には体験をしなければ知ることはない。だからこそ、今の社会を回している大人たちが子供たちにどれだけの選択肢を提示してあげられるかが重要になってくる。
それは何も勉強に限ったことではない。むしろ学校には誰でも半強制的に通うことになるのだから、学校の外で出会う体験がとても大切だ。
子供は興味のあることにはとても貪欲に、まっすぐにぶつかっていく。一から十まで与えなくとも、最初の取っ掛かり、ほんの少しの刺激を与えるだけでいい。
それが子供の自発性を養い、子供自身が自分で成長していくと思う。

自分は子供にどんな世界を見せられるのか常に考え、自分の道を探していきたいと思う。