それぞれの立場と責任。客観的な視点を持ち、相手の立場で考えるということ。
2,3日に一回更新できればとか言いながら、とっても久々な更新。
- 立場の違いを認識していない
- 相手の主張に耳をかさない
- 自らの被害者意識ばかりが行き過ぎ
- 『責任』を履き違える
台湾の食品規制に遺憾 菅氏(2015年4月14日(火)掲載) - Yahoo!ニュース
台湾が放射能汚染の『恐れ』がある日本産食品の輸入を制限するとしたことに対して、日本側は遺憾の意を表明し、抗議したという内容だ。
個人的には台湾の対応は至極当たり前のことだと思う。国家には国民を守る義務があり、国民を危険に晒す可能性があるものを避けることは当然だからだ。
今回の震災に関して日本は確かに被害者だが、原発事故に関しては被害者と加害者両方の側面を持っている。
偶発的な事故とはいえ、核関連施設での事故という地球規模の問題が日本国内で起きたのだから日本は海外諸国に対して責任を負わなければならないし、解決に向けて尽力することは当然である。
その上で厳格な検査を実施し、正確な数値を公表して海外へ輸出する。こうして初めて日本と輸出相手国、双方にメリットのある取引ができることになる。
だが今回は台湾側が規制を設けると表明した。規制に至った理由として考えられるものは、
- 検査結果が日本国内では許容値だが、台湾ではオーバーしている。
- 検査結果が信用されていない。
- そもそも日本の信頼度が低い。
といったところだろうか。他にも考えられる理由はあると思うが、基本的に対話の姿勢を維持しない限り根本的な解決には至らないと思う。
1の場合は相手の基準に見合ったものを輸出するようにするしかないし、2と3の場合は台湾にとって信頼できる交渉手段、検査手法をとるしかない。相手国内の検査機関に依頼をするなど様々な手段を講じて、互いの妥協点を見つける必要がある。
今回ニュースを見た印象では、台湾の規制に対する一方的な物言いに感じてしまった。何かしらの理由があって規制をしたはずなのに、それに対して単に怒っているだけな気がする。
『私たちはこんなに頑張っているのに、どうしてわかってくれないんだ!』
というふうに。
相手の主張を聞き、相手の立場になって考え、自らが加害者側でもあるということを認識していれば、少なくともこの段階で『遺憾の意』を表明することはないと思う。
対外的な関係において、評価を下すのは常に他者だ。私はこんなに頑張っている、は自己満足にすぎない。
国に限らず組織というものは常に外から見られ、評価される。欠陥を認め、改善しようとする姿勢が見られなければ、いずれ誰からも相手にされなくなる。
もちろんこれは個人にも当てはまる。
だからこそ、常に客観的な視点を持ち続けたい。
すぐにNOを突きつけず、YESから始める対話を模索したい。