備忘録

備忘録代わりとして、特に決まったテーマもなく、思ったことを書いていきます。

一年のまとめ。

気がついたら、ツツジが咲いていた。



ツツジが咲く季節、というものを意識したのは覚えている限りでは今年が初めてだった。
東京にこんなにもツツジが咲いているということを昨年初めて知り、今年は色々な事を思い返させる、私にとってはなかなかに罪深い花だ。

ツツジ全般の花言葉は『慎み』『節度』であるらしい。
コンクリートジャングル・東京に咲き乱れる美しい花にそんな花言葉があるとは多くの人は思うまい。
私もその一人だった、つい今し方まで。




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異国の地・韓国から帰国して、気がついたら一年以上が経っていた。
帰国してからというもの、私は何故だか花が好きになった。別に菜園を始めたとか、気になって勉強し始めたとか、そんなことではなく、何となく、好きになったのだ。道端に咲くたんぽぽ、太陽のように叫んでいる向日葵、気がついたら散っている桜、節度無く咲き乱れるツツジ
知っている花は数少ないが、心に残る花は数多く。
瞬く間に過ぎていく 季節ごとに彩りを与えてくれる花たちは、なんと素晴らしいものなのかと思う。

何故こんなにも花に目が向くようになったのか、思い当たる節は多くあるが、これ!といった明確な理由は見つからない。だが海外にいた間、帰国してから、多くのことがありすぎて、それが影響していることは言うまでも無い。

帰国後は、花を好きになったことに限らず、家族への思いであったり、人と付き合うことであったり、仕事というものを考えたり、様々な思いが目まぐるしく入れ替わって心を削り、会う人会う人から『また痩せたんじゃない?』と言われることが多くなった。なかなか否定も出来ず、ただ苦く笑うことしか出来ずにいる。



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自分の弱さというものをこんなにも思い知らされたのは、26年生きてきて、この時が初めてだった。

ずっとずっと好きだったパンというものが嫌いになるんじゃないかと、怖かったことを覚えている。
と同時に、何故あの時はあんなにも弱かったのかと、当時の自分を責めてやりたくなる。が、その時の自分にはどうしようもなかった事は、今の自分がよく知っている。
何とも昇華しきれないこの思いは、これを書いている今もまだ、心の隅っこでくすぶっていて、時折唐突に大きくなって、深い溜め息をつかせてくる。

京都にいた頃から理想としたお店を離れた後、1ヶ月ほどの有休期間を得た。
前半は転職活動、後半は帰省に費やし、いざ新たな職場へ向かわんと重い腰を上げようとした9月末のこと。
十数年ぶりに40℃台の熱を出し、追加で1週間ほどの休暇に入ることになり、何とも肩身の狭い重いをしながら新天地へと足を踏み入れることになった。


新しい職場では、何故か目黒で肉を焼くことから始まり、気がつけば都立大学に場所を移して、見え隠れする不安を無視しながらバタバタとオープン準備をし、高まる不安の中グランドオープンへこぎつけた。
不安と忙しさに追われ、気がつけばまた一つ歳を重ねていた。



新しい年を迎えてしばらくした頃、かつての職場で共に働いた仲間と再会した。
久しぶりに会っても距離感は変わらず、物凄く安心した。
とはいえやはり時間は流れていて、それぞれ互いの知らないところで大きな変化を向かえていたようだった。




この一年、子供を見る機会が圧倒的に増えた。
甥っ子が生まれ、かつての同級生にも子供ができ、SNSにはその近況がアップされ、果たして自分はいつそちら側に行けるのかと思うことが増えた。

が、それと同時に人が生まれ、死んでいくことの尊さや意味というものを、考えるようになった。
各々にとって限りある時間をどのように使い、どのように与えていくのか、考えれば考えるほど、焦りは募る。しかし焦れば焦るほど、沼にはまったかのように身動きが取れなくなる。

今も答えは見つからず、果たして見つかるときが来るのかも分からないが、今は出来る限り考えないようにしている。






かつての仲間と再会した場所では、新たな出会いがあった。
ざっくり言うと、とあるブックカフェを運営する方と偶然知り合い、パン屋を出そうかという話になりかけている。
まだ具体的な話は進んでいないが、私のお粗末な経歴に興味を示してくれたその人の期待に応えるべく、想いを新たに歩き始めたところで今に至る。

本当に、つくづくこの世は変な縁で結ばれて行くものだなぁと思う。
あの時の辛かった気持ちが、楽しかった思い出が、そのどれか一つが欠けても、今この時は無かったように思う。
2015年までは、後悔のない人生を歩んできたと自信を持って言えるが、2016年という年は、初めて後悔をした年だった。どんな選択をしようとも、後悔のない生き方をしようと決めていた想いが、初めて揺らいだ年だった。
その揺らぎは今もまだ残っているが、最近はまぁいいかと思えるようになってきた。



最近、カメラを手にする機会が増えた。増やしたと言うべきかもしれない。
一瞬を切り取るこの機械が見せてくれるものは、どれも過ぎ去ったものだし、いちいちその時の気持ち全てを覚えているわけでもない。
だが、その時僅かにでも気持ちが動いたという事実は残してくれる。
撮った写真を見返すたび、ちっぽけでも生きていることを感じることが出来て、なんだか無性に安心する。

誰に向けて発信しているわけでも無いが、誰か一人でも、その絵を写したときの私の気持ちを感じてくれたら、凄く幸せだと思う。
(全訳:インスタやってるから見てね。)